鮭いくら茶漬け

お茶漬けサラサラ

いつになるやら、というかいつまでも

「恋とはなんですか?」とグーグル先生に尋ねてたら、「恋(こい)とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。」とWikipediaが教えてくれた。グーグルに訊いたのに。まあいいや。
まあ恋とはそんな感じのもので、歌手も作家も漫画家もその辺の人もよーーく恋についてあーだこーだと話をしている。私もそうだし。

 

いつも恋をすると病気のようになる。恋の病とはよく言ったもので、本当におかしくなる。

私は普段、情緒が乱れたり、感情が抑えられなくなったり、自分をコントロールできない、ということはなく、比較的安定傾向にある。

が、恋になるとオシマイで、行動を、感情のままコントロールできなかったりする。脳が死んでいる。そしてしっちゃかめっちゃかになって、玉砕したり身を削る羽目になったりなんだりしている。

でも、その境遇に身を置くというのは自分で判断したことであり、好きになった相手を責めるなんていうのは完全にお門違いである。恋というのは、成就しようがしまいが、どんなエンドロールが待ち受けていようが自分で始めて自分で片を付けるものなので、決して誰かのせいにはできない。

そんな風だから、恋をするたびに「まだまだ未熟な私には早かったんだなあ、精進精進」などと思い、そして恋を手放す。

手放したら手放したで、恋の渦中にいなければ基本的に情緒が乱れることはなく、「おっ、人として少しは成長したかな?」などと勘違いする。情緒が乱される出来事が起きなければ、安定しているのは至極当然のことで、本当の人としての器というのは、何かが起きた時、どのくらい安定していられるか、による。

穏やかな海でなら、大抵の人は穏やかでいられる(自分で暴れてひっくり返したりする人もいるが)。荒れた海でどのくらい自分を保てるか、が大事なんである。

 

山田詠美が「恋というのは落ちる準備ができている人しかしちゃいけない」みたいなことを小説で言っていた。

でも、落ちてみないと準備ができているかどうかなんてわからないし、落ちてから準備が整ったりする場合もある。いつになれば準備が整うんだろうか。

まあ、こうして自分の事ばかり考えているのはまだまだ未熟ということなんだろう。恋は自分で決着をつけるものだが、相手が存在して初めて発生する。渦中、特に片思いの場合、相手を見ているようで自分ばかり見ている、みたいな事態に陥りがちなので、相手も一人の人間であることを絶対忘れないようにしたい。

いつになれば準備が整うのかはわからないが、いつまでも終わりがないような気もする。自分が成長すれば成長した分、また新しい目線で恋に落ちたりする、と思う。

 

 何度も恋でしっちゃかめっちゃかになっているはずなのに、喉元過ぎればルルルルル、忘れてしまうのである。というか苦しい記憶なんかはだんだん忘れて、楽しかった記憶が濃って、なんだかんだまたうっかり恋をしたりする。

多分、そんなのを繰り返して、渡されたり渡したり取りこぼしたり拾ったりして、少しずつ何かを得ていくんだと思う。恋、したくなくてもするときはするし。そんなもんだろう。そんな感じでやっていくしかない。うん。生きていこう。幸せになろう。ほいじゃ。