鮭いくら茶漬け

お茶漬けサラサラ

お~セプテンバー、って言わないの?

盆休みが終わってから、夏のプレイリストを封印して、酷暑に喘ぎつつ殺意を抱えて労働を殴っていた。労働というのは殴ると金を吐くのです。殴らんでも吐くけど。

夏のプレイリスト、ちゃんと曲順も考えてブログで長々説明したりしよう、つって思ってたけど、なんだかんだでばたばたと夏が過ぎ去っていったので、ま、また来年ですね。

夏の雰囲気、あのすべての生命がぎらついて主張して浮ついている感じ、は嫌いじゃないけど暑いのだけがもうどうにもダメなので酷暑はご勘弁ください。やっこ食ってでーんとかまえていられない暑さだったじゃないですか。ねえ。埼玉の酷暑はシンプルに害悪です。

 

そうして日々は過ぎてゆき、無糖の炭酸水が歯を溶かすかどうかを考え、ドンキとしてドンキを全力で表現しているドンキたるドンキ、に車をぶいぶい走らせていたら、とっくに九月だった。気づけば九月。

高校生の頃なんかはTwitterでみんな「セプテンバーさんだ」みたいなこと言ってた気がするけど、今年は見かけなかったな。ラッドに特別な感情はないけど一部の曲は好き。イーディーピーと揶揄とか。無人島のアルバムが好きなのかもしらん。

音楽好きですか? と訊かれると、うんまあ恐らく、と言うけど、音楽詳しいですか? と訊かれると、いやまったく、と言う。

何と言いましょう、好きだからあっちこっち手当たり次第に聴いてるけど、このコード進行がどうでとか、ロックのジャンル分けとか、ビートがとかメロディがサウンドが、そのあたりの知識がないんだよな。まあ知識がなくても楽しめるのが音楽のいいところではあると思う。

 

新しく文を書く場を提供していただけそうで、非常にワクワクしている。ウォー。

先日、物書きの友人と「比喩を使うかどうか」みたいな話をした。彼女は「比喩に頼ってしまう」と言ってて、私は逆に比喩が浮かばないからもう何というかそのまま言うしかない、という感じでして。して。

まあしかし、そのまま書いたからって書き手の意図が綺麗に濾過なし色眼鏡なしで真っ直ぐ受け手に伝わるわけでもないし、比喩表現をしたとてその比喩が書き手と受け手で同じイメージを描けなければそれもまたそうだし、どっちもどっち、な気がするんだよな。ム、ムズ。

「文章においての受け手の才能」という言葉をTwitterで見かけて、あー、と思った。

受け手の才能。書き手の才能。重要なのはどっちなんだろうな。いや、どっちが、とかないような。行間を読み取るのは受け手の才能な気がするけど、何でもかんでもに意味を持たせようとするとまたそれは違うというか...。

 

だらだらと何を言っているんですかね。私は書くのが楽しいから書いているだけなんですが。

なるべく正しい言葉を使って、使われなくなった、珍しい言葉、などを拾って、思ったことをそのままそのままに書けたらいいわねー。

 

音楽も文も面白いです。それだけはわかっている。ピースピース。

今年もあと三ヶ月でおじゃる。ぎゃー! みなさまどうぞ健やかに。ほいじゃ。