柔らかすぎる心に対して
思春期、てのは、まあ、病気だよ。マジで。本当に。どうしようもない。自分じゃね・・・。
いろんな方面にいろんな形で迷惑をかけまくるし、その自分を思い返しては、恥ずかしさでひっくり返って丸まって沈みたくもなる。そういう病気。
最近、今まで起きた出来事はどういう形であれ、起こるべくして、必要だから起きた事なんじゃないか、と思うようになった。
必要かどうかなんて時間が経たないとわからないんだけど。無駄だったー!と思いながら過ごすよりマシじゃん、と思ったのもある。あんま意味のない後悔をいつまでもしててもねえ。
中学生でリストカットをして、反抗期が来て、親と壮絶な喧嘩を繰り返し、高校生になってからは、クリープハイプを聴いて、セフレを作って、江國香織を読んで、夜な夜な希死念慮にかられていた女です。わたしは。ろくでもない。ていうかなんだ、この女は・・・。誰だよ・・・。お前だよ・・・。
別にクリープハイプとか江國香織に罪があるわけじゃない。現実とリンクさせようとすると何かがおかしくなるというだけ。
でもそれがわからなくなって、背徳的な、無意味な、堕落的な、そういう関係に憧れたりする。
今では、すっかり鬱っぽくなることもないし、自分の価値は自分で決めるしかないし、墓に入る時は誰でも一人なんだ、という感じでのしのしでかい顔で歩けるようになった。
こうしてやわやわだった心が頑丈になっていくわけだけど、それが行き過ぎると、老害、だとか呼ばれる様になってしまうのかね。
強くなる事と鈍くなる事を履き違えないようにしたい。
なんかよくわかんないけど、生きていればなんとかなるっていうのは本当な気がする。
毎晩毎晩、寝る前に首を絞めていた高校生のわたしへ、誰ともうまくやれない、と思いながら過ごしていたらカウセリングを勧められて余計に死にたくなったわたしへ、今はこんなに元気いっぱいだよ、と伝えたい。大丈夫、そのうちなんとかなる。
なんとかなる、なんて無責任すぎて、能天気すぎて、当時のわたしに言っても余計に死にたくなるだけなんだろうけど。
そういう繊細な、どこを突いても血が出る、みたいな状態の人間にかける言葉、てのは非常に難しい。寄り添おうと思うとこっちまで引きずり込まれたりもする。
無理に励ますのでもなく、寄り添い過ぎもせず、他の方法で助ける事はできるんだろうか。
わたしが思春期から脱した時、一番うれしかったのは、身勝手に縁を切ろうとした友達が、ずっと同じ場所で待っていてくれた事だったな。
自分が変わらず、その場所で待っていればいい、という事もあるんだろうか。
人との付き合い方はずっと難しいし、ずっと正解を探して考えて、失敗するんだろうと思う。それでもわたしは人間が好きだし、たくさん関わっていきたい。
なんかよくわからなくなった。いまだに正解はわからないんだよな。
とりあえずここまで。ほいじゃ。