鮭いくら茶漬け

お茶漬けサラサラ

インターネッツの人達と会ってる

わたしにはインターネッツ(TwitterTumblrInstagram)を経て知り合いになって、定期的に遊んだり、旅行に行ったりするくらい仲良くなった友達が何人かいる。

正直、SNSを介して人と会うのになんの抵抗もない。この感覚に対しては、自分で自分に対して大丈夫なのかなあ?と思っている。

 

言い訳をさせてもらうと、TwitterにしてもTumblrにしても、文章なり写真なりで、何となく人間性みたいなものとか、どんな暮らしをしてるかとか、趣味が見えてくる(なりすましとかされてたら一発アウトである。怖!)。

そうすると、見ず知らずの人間と会うわけではない、みたいな感じがしてきてグーっと抵抗がなくなるんである。本当は見ず知らずの人間なのが怖いところである。アル。らんまで好きなキャラはシャンプー。

誰かれ構わず会ってる、てわけではないけど、リスクは常にあるとは思う。

 

ただ思うんだけど、やっぱりいくら仲良くなっても関係性がどこか希薄というか、切ろうと思えばすぐに切れる縁なんだよな。切ないことに。

学校が同じ、とかだったら、連絡先がわからなくても地元とか同級生、もしくは親とかいろんな人を辿って探せるかもしれない。

でもインターネットの友達はそうはいかない(いくかもしれないけど、でもやっぱなー)。もし明日わたしが死んでも、誰もそれを知ることはないだろう。逆もしかり。「最近あの人投稿しないなー」と思ってたら実は死んでるかもしれない。ゴーストアカウントが誕生する。誰も知らないまま。

 

最初から趣味が合うのも価値観が合うのもわかってて会う、だから仲良くなれる、でも関係を切ることだって簡単にできる。便利だ。インスタントだ。インスタントモダチ。

最近気づいたのは、そういう便利な方法を先に覚えちゃうと、長く付き合える関係は築けないんじゃないか、てこと。

1から仲良くなる時の、気を徐々に許す感じとか気遣い方を変えていく、煩雑な過程を習得しないと、なんか結局・・・どこかでぼろが出るというか・・・ほころびが・・・。わかりませんけどね。なんかふと思ったんだ。そんなことを。

人間関係の築き方なんてわたしも全然わかってないけどさ。息してるだけで嫌われることだってあるんだからよ。

まあなんか・・・よくわからんくなってきた・・・。

 

わたしと仲良くしてくれている皆さんいつもありがとう。あなたと出会えて本当に良かったと思ってるよ。これからもどうぞよろしくね。

そしてまだ見ぬあなたへ、首洗って待ってろ。頭から食ってやるからよ!!!完!(なにが?)

 

まあそんな感じだよな(どんな感じだよ)。ほいじゃ。

 

両親へ:もしわたしが急に死んだら、SNS全部見ていいのでわたしの友達にわたしが死んだという事を伝えてください。頼むぜ。