鮭いくら茶漬け

お茶漬けサラサラ

何になりたいんでしょうかね

 

わたしは何になろうとしているんだろう、ということをまた考え直さねばならん。

そういえば、小学校の頃「三つ目がとおる」を読んで、和登さんみたいな女になろう、と思ったんだったな。和登さんは本当にいい女なんである。だ~いすき。「みつめがとおる 和登さん」の画像検索結果

わたしの父親は基本的に理性的な人間で、感情的に声を荒げる、みたいなことがあんまりない。淡々と理屈を説いてくるタイプ。

母親は逆に感情的な人間で、カーっと頭に血が上りやすい。

感情的になった母と理屈っぽい父親が喧嘩をすると、話がまるで平行線で何も進まないのである。その様子を見ていて、子供ながらに「建設的な話し合いができる大人になろう」と思ったもんだった。

(ちなみに母親は持ち前のチャーミングさでそういう部分が許される感じになっている。あれはあれですごい。すごいチャーミングさ。女として憧れる部分ではある。)

 

理性的であろう、そして強くかっこよくなろう、と思ったわたしが考えたのは、まず己の感情を自分でコントロールする、ということだった。自分から湧き出てくるものなんだから、自分で制御できないわけがない、てね。浅はか。

ついでに、他人に気を遣うということも勉強した。これは、母方の親戚からよーく学んだ。

そうしてわたしは「自分の欲を抑え、他人を優先する」ようにしようと心がけるようになった。なんて人格者なんだろうか!すごいすごい!

 

ま、器が完成していないのにそんな人格者を目指したせいで、わたしのメンタルは徐々にバランスを崩し、持て余してくすぶった欲は、燃え上がって、わたし自身、あと一番近くにいた家族に降りかかることとなった。大迷惑。

そうして希死念慮大爆発自己肯定感皆無メンヘラ女が誕生したわけである。

 

そんな風にわたしが暴走して暴れまくっていたころ、父親に「お前は何になろうとしているんだ?仏陀にでもなりたいのか?」と訊かれ、わたしは「誰にも不快な思いをさせたくない、そういう人間になりたい」と答えた。

それに対して父親は「そんな風に思っていること自体が傲慢だ」と言ったのである。

この時、目から、涙と一緒に鱗という鱗がボロボロ落ちた。

大切なのは、自分が人に何かをされたときに許すこと。あと、間違えたときにちゃんとそれを認めて心から謝れるということなんですね。

そしてわたしは自分の器に合ったレベルの気遣いをするようになり、欲と我慢のバランスが取れ、精神の平穏を取り戻した。

いやー、父親に感謝、感謝である。

 

そんなこんなで月日が流れ、新しい土地での新しい生活が始まり、いい女やいい男に出会い、彼らの価値観に触れ、またわたしは自分の器では収まらない理想を描きつつあった。

人に気づかされた部分はあるにせよ、早めの段階で気づけたので、まだよかったネ。

思うに、わたしの器も学生の頃より少し広がり、今まで満ち満ちていたところに少しスペースができた。心の余裕というのかもしれない。

そのスペースを埋めようとして、埋めていたら、また自分の器のサイズを見失った。

 

昔みたいな精神バランスの崩し方はしないし、一度経験した分、なんとなくどうしたらいいかもわかる。心の整理のために、今これを書いている。

今一度、わたしは自分の欲をしっかり見直さなければならないんだと思う。本音を言えば、少ししんどい。自分で認めたくないような欲もあるし。

「ま、しょーがないよねー」と自分を納得させたつもりになって抑え込んでいたものたちを取り出してもう一度ちゃんと声を聴いてあげよう。

今のわたしに必要なのはそういう身辺整理だ。抑え込んだ欲に逆に食われるなんてことがあってたまるか。

 

ちょっとがんばってみます。ほいじゃ。