与えるのは気持ちいいけどね
恋愛の歌を聴いて、「こういう風に愛されたいな~」ではなく、「こういう風に愛したいな」と思ったとき、わたしの自己肯定皆無メンヘラ鬱期間は終了した。
そんな感じで、なんでも愛したい、好きな男は守りたいし包みたい、と思いながらずんずん進んできて、ふと立ち止まってみる。ハイハイハーイ、ストップ!
まず、与える、というのは自分も満たされる。気持ちいい。だからこそ、そこにどっぷりハマって目的を間違えたり、依存してしまう、てことはないんだろうか。
子供を育てることを生きがいにし、子離れできない親。
面倒を見る対象がいなくなり、寂しさから犬や猫を飼う老夫婦。
「この人はわたしがいないとダメなの」つって男から離れられない女(逆もしかり)。
ま、別に悪いことじゃないんだけどさ。
何しろ相手がいて成り立つことだから、相手の気持ちを考えられなくなって、自分の欲望を満たすだけになってるのに、「与えてる」ゆえに、それに気づけない、てことがあるだろうな、て。
そんで「これだけしてあげてるのに!」みたいなことになるんだろうな。怖い。
自分の欲望を満たすために人間のこと使っちゃいけないんだよな。
「自分がされて嫌なことはしてはいけません」て、昔からずっと言われ続けてることなのに実践するのは結構難しい。人のことなんて一生わかんねえもん。わかろうとすることしかできない。
「与える」ことは、相手本位に見えて自分本位、にすり替わっても気づきにくい。
わたしは守りたい守りたい、て言ってるけど、本当に守りたいってのがどういうことかわかってんのかなあ、と思って書き始めたけどわかんないね。
まだ見ない誰かまで守る、なんてことは思ってなくて、好きな人間の帰る場所になれたらいいだけなんだけども。
でも知ってんだよねー。こういうのは一人で考えてても全然わかんなくて、好きな人間といるときにぐわっとあふれてくる気持ちが一番正解に近い、てことを。正解ではなくとも。
それがすべてなんだろうよ。わかんないけど。
好きな人間が幸せ(わたしの思う幸せではなくて、その人が思う幸せ)でいるのが一番いい。そこんところを忘れないようにしたい。
思ってることだらだら書いたら全然まとまんなかったよ。
少しずつ「こうかな?」「違うかな?」、て考えて行動して、少しずつわかっていけたらいいよな。正解を死ぬまで探して、見つけられなくてもそれはそれでいい。
わたしの好きな人間がみんな幸せでありますように。
ほいじゃ。